新井貴浩選手と言えば!背番号25ですよね。
カープに移籍が決まる前は阪神で背番号25が輝いていました!しかし、
弟の良太選手が契約更改の際に兄の背番号にするか?と打診されますが
これを拒否。なぜ?兄が着けていた名誉ある背番号を拒んだ理由とは?
この記事は
・新井貴浩選手の背番号の歴史
・新井良太選手が兄・貴浩の背番号を拒んだ理由
について書いていきますねヽ(・∀・)ノ
新井貴浩選手の背番号の歴史
新井貴浩選手といえば広島カープで4番を張っていた事で
まずカープファンならご存知ですよね!
栗原健太選手が4番を務める前はこの
新井選手がカープの主軸で頑張ってくれました!
新井選手は意外にもドラフト6位で入団で、1998年に入団して以来
ずっと背番号25を着けていました!つまり、
広島に在籍していた9年間と
阪神に在籍していた6年間、計
15年間その背中には25という数字が刻み込まれていたのです。
15年プロ野球の1軍の第一線でやってればファンも背番号くらい
覚えますし、その選手の代名詞みたいなモノになります。
その背番号と別れる悲しみは本人にとってとっても辛いことだと思います。
『辛いです…』
号泣会見とはいかないものの、
カープを去る際に新井選手が会見の席で発した有名な言葉です。
カープが大好き!俺はカープが大好きなんだっ!
僕が喜んでカープを出て行くという事ではないと
理解してほしいです。という強い思いは伝わってきましたが
『優勝できるチームへ行きたいです…』ひっくひっく…
この言葉を発してしまったので新井選手のことを
辛いさん
などと呼ぶファンの声も多く、もうカープには戻れないぞ!!
裏切り者!
などの声も多くあがりカープとの試合の時など
新井貴浩選手が打席に立つと
mixiやプロ野球観戦アプリ、Twitterなどで
辛いです、キツ〇猿などと誹謗中傷的コメントも多かったです。
僕は案外裏切り者とかいう気持ちはありません。
だってプロ野球選手になったら高見を目指して
優勝を狙える経験ができるかもしれないチームへ
行きたい事や、お金が欲しいのは当たり前です。
何年できるか分からないプロ野球選手ですからね(^_^;)
ちなみに平均選手寿命は7年らしーですΣ(゚д゚lll)
色々壮絶なプロ野球人生を歩んでいる新井貴浩選手ですが、
なんと再び広島カープへ復帰してしまいます!
これをファンはどう捉えているか分からないですが、まあ
賛否両論でしょーね(^_^;) ただやはり背番号25というのは
用意してもらえなかったようで、2015年のカープからは
背番号28として再びカープのスラッガーとして活躍してくれると思います!
兄・貴浩の背番号25を拒んだ弟・良太の理由とは
新井良太選手は兄・貴浩選手の弟で、阪神タイガースの
内野手として活躍している選手です!
現在の背番号は32という良太選手。
200万減3000万円の契約更改だった良太選手ですが、球団側から
兄・貴浩が着けていた背番号25にしないか?と
打診されました。悩んだ良太選手は兄に電話をします。
良太「兄ちゃん、背番号25着るか?って言われた」
貴浩「は?んなモン知るかっっての!好きにしろや!」
こんな会話だったかは分からないですが、(お兄ちゃんイライラ?)
良太選手は1人考え、もし誰かが着けるのなら僕が…という
気持ちもあったけど、やっぱり25は兄のイメージ。
32という自分の番号に愛着もあんねん。
ってことで背番号のお話はお断りしたそうですヽ(・∀・)ノ
プロ野球界には入来兄弟や堂上兄弟、上本兄弟など数々の兄弟がいますが
まだまだ新井兄弟もプロでやれるはず。
頑張ってほしいですね(^O^)