読売ジャイアンツのエースとして、またマイナーリーグからメジャー挑戦を目指した桑田真澄がアサヒ芸能連載の900回メモリアルの取材でテリー伊藤氏とともに対談しました!
この対談では桑田さんの学生時代の秘話やプロ1年目の秘話、そして親友清原和博との秘話を語りました。往年の桑田ファンには必見の対談だったようです^^
桑田真澄の学生時代の秘話
桑田さんは実は『常識を疑え!』という本を出されているのですが、そのなかで常識にとらわれすぎてはいけないよという事が書かれているそうです。
その本はコチラ
桑田氏はこの本の中で小学生時代に抱いていた、「これっておかしいよな」という思いがあり伝えたかったそうです。
桑田氏が感じた事は小学5年の時にプロ野球選手から「右肩を下げずに右肘を高く上げてから投げなさい」と教わったんだそうです。要は上から下に投げ下ろせみたいなイメージです。
しかし、その教え通りに練習してもどうにもシックリこなかったようです。ボールが伸びず沈んでしまう・・そんなもどかしい感情をいだいたまま小学生を卒業。
そして中学に上がった時に1つのターニングポイントがありました。
ドッジボールをした時の事です。ボールを拾い下手投げでボールを投げたら凄く伸びたいい球がいったそうです。その時の感触が物凄く良く、野球にも生かせたようで中学時代はエースを務めたそうです。
しかしPL学園に入り再びピッチングコーチに右肘を高く上げたフォームに直せと言われたそうです。これに再び違和感を感じボールがいかなくなりピッチャーをクビになったそうです。
外野手として練習する事になった桑田さんでしたが、逆にまた右肘を下げて送球するといい球がいくようになり、再度PLのエースとして君臨する事になったらしいです。
この出来事があったからこそ、「世の中の常識はとらわれてはいけない」と思ったそうです!
僕は清原和博氏がPL入った瞬間、「ピッチャーは桑田がいるから無理や」と話していたと記憶していたのですが、このエピソードはちょっと知りませんでしたね。本を買ってた人は知ってたんでしょうね^^
プロ1年目の秘話
清原和博が1年目から西武ライオンズの1軍でバリバリ活躍し新人王を獲得した中、自分の成績が上がらず全く通用する気が起きなかった桑田さん。
というのもプロの世界でも色んな指導者に右肘を上げて投げなさいと指導を受け、自分のピッチングができなかったんだそうです。本当に常識というものは時に恐ろしいものですね・・。
プロ1年目で活躍することができなかった桑田さん、オフにジャイアンツ球場で練習していた時、『8時半の男・宮田征典』が声をかけてくれました。
「高校時代の肘を下げたフォームでいいじゃないか」
この言葉を受け、三度目の正直で調子を取り戻し、後に沢村賞を獲得するなど巨人のエースまで成長した桑田さん入団当初の秘話でした。
変わり者と言われた秘話
プロに入団してから、元々思っていたことを口に出してからは変わり者扱いされたそうです。
何かと言うと、球数を抑える理論です。
当時の高校野球やプロ野球はとにかく投げ込みをしてフォームを固めたり肩を作るというのがあったので、そこの常識もおかしいなと思っていたそうです。
高校野球もみんなやってきたからという理由で、短期間で何百球も連投するエースに違和感を感じていたらしく、事実短い選手寿命となってしまった投手はかなり多かったと言います。
ただ桑田さんは高校野球も球数制限を設けることを推奨していて、そのほうが2番手3番手の投手を育成できるし、延長が多い高校野球の試合も点が入りやすくなって野球の試合自体が面白くなるし、各々の選手寿命も延びるし、少子化が進む現代野球には球数制限は必要なんじゃないかと訴えています。
たしかに完投完封の醍醐味は減ってしまうかもしれないけど、数多くのプロ野球選手が生まれることになり、試合も盛り上がるのなら球数制限とまではいかないまでも、100球を超えたあたりで交代の雰囲気が出るくらいになっていくと良いかもしれないですね!
桑田氏が語る高校時代の清原和博
PLに入って清原を見た時感じたことはやっぱり体格の大きさに驚いたそうです。ただすぐにライバルなんだけど、盗める所は盗むと3年間観察し続けたらしいです。
また授業中の桑田さんは大学に行きたかったので一度も昼寝をすることはなかったが、清原はプロ野球選手になるんだから勉強なんかしなくていいと居眠りばっかりだったみたいです。なんだかイメージ通りですね(笑)
また、2打席連続で凡退した清原が桑田さんにアドバイスを求めるという素直な姿勢があったと語ります。
配球がこうだから変化球を狙ったらといいんじゃいかとアドバイスしたら、1球で仕留める清原のスゴさもあったそうです。
将来の監督像はあるのか
桑田さんは将来監督や指導者として活躍することは望んでいるようです。
しかし40歳で引退し、まず10年間は勉強に時間を費やしたいそうで、自身の野球理論だけじゃなく色々な専門家の意見を聞き将来の指導の糧にしたいそうです。
そして、理想は清原和博と一緒に指導者をやってみたいと語り、3年以降の桑田さんが50歳を超えてから本当に清原氏との監督・コーチが実現するかもしれません。
そうなると球界は盛り上がるでしょう。
桑田さんは巨人でやりたいとは思いますが清原さんは巨人と確執があると思うので巨人での実現はどうなんでしょうか・・いずれにせよ実現すれば面白いチームになりますね。
クレバーで頭もいい桑田さんの監督は是非見てみたいですね^^