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先日中居正広のキンスマスペシャルでも紹介された黒田博樹の名言にこんな言葉があります。

「雪に耐えて梅花麗し」

ゆきにたえてばいかうるわし、と読むこの言葉は彼を支え続けてきた言葉でもあるのです。どういう意味があると思いますか?

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西郷隆盛の漢詩の一節

梅の花

梅の花は寒い冬を耐え忍ぶ事で春に一番麗しく咲く

 

雪に耐えて梅花麗しとはこういう意味が込められていて、決してエリートとは言えない黒田博樹の人生そのものを表す言葉。というのも彼は野球の名門上宮高校で背番号17の補欠で最初から凄い投手というわけではなく色々な苦労があったのです。

 

 

同級生で背番号1をつけていた当時の上宮高校エース溝下進崇さんは語る。

 

「その当時クロはよく走らされてた。夜通し走る。それを止めようとしないんですよねあいつ。黙々と走るというかご飯も食べてないですし真夏なんで凄い暑いんですけどちょっとまずいんじゃないかってこっちが心配しちゃうようなぐらい、やろうと決めた事はとことんやり抜くというかそういう性格というか、男らしさというか」

 

 

さらに当時の監督望月教治さんは

 

「私がビックリしたのは大学セレクションの時にもうスライダーやシュートを放っていましたからね。高校生でスライダーを簡単に投げたりインコースのシュートを投げるピッチャーはなかなかいない」

 

 

補欠ピッチャーながら光るものを感じた望月さんでしたがある問題がありました。それは大学は推薦入学だった為実績がないと難しいらしい。推薦文を監督して書かなくちゃいけないけど書きようがなかったそうです。

しかし望月さんは教授に頭を下げて頼んで回ったらしいです。そのかいあって専修大学へ入学することができた黒田投手。一心不乱に練習に打ち込みその才能は開花。

1996年ドラフト2位で広島東洋カープに入団する事ができました。しかしプロの世界でもこんな話があります。

 

 

野村克也さんはこう語ります

 

「印象がないんだよね黒田攻略に苦労したっていう思いもどっかに飛んじゃってなくてそれほどのピッチャーじゃないっていう評価だった。しかし名門ヤンキースで投手陣の中心っていうのはこれは凄いことだと思うんですよね。そうカンタンにそんなピッチャーできるなんて人はざらにいない」

 

と話し、これだけ活躍できる選手になった彼だが野村さんから見れば印象がほとんどないというカープ時代がそこにはあったようです。

 

 

広島でFA権を取得した時も夢やお金を取らずに1年カープでプレーする事を選んだ事や、その1年後涙を流し決断に苦しみながらもメジャーに挑戦した経緯などいろんな悩みを抱えてここまできたようです。

 

 

 

好きな言葉をアメリカで聞かれた時も

 

 

名門ヤンキースに移籍し、好きな言葉を問われた際にも黒田投手は雪に耐えて梅花麗しと答えました。

アメリカに渡っても苦労続きの野球人生を支えた言葉であったので咄嗟に出たらしいです。キャプテンであるデレク・ジーターも、

 

「彼の言葉は我々野球人にあてはまる素晴らしいもの」

 

と称賛し、更に監督ジラルディは梅の花の写真を探してきて自身のパソコンの壁紙に設定するなどチームを支える言葉となったそうです。

梅の花は寒い冬を耐え忍ぶ事で春に一番麗しく咲くという意味がある西郷隆盛の言葉を黒田投手が好きなように、野球以外の全ての事柄において心の支えになる素晴らしい言葉だと思います。

 

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