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大リーグの名門と言われているニューヨーク・ヤンキースでワールドシリーズMVPにも選ばれ引退した松井秀喜。

彼のスター街道は星稜高校時代から留まることを知らなかったがどのくらい高校時代に活躍したのか紹介していきます。また、超有名エピソードについても紹介します。

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高校1年時

 

 

星稜高校は松井さんがプロ入りしてから一気に有名になった高校ですよね。たまに松井秀喜の特番でよく紹介されていました。

その星稜高に野球部に入部した当時は投手にポジションを振り分けられたそうです。しかし投手は全然好きじゃなかったみたいですぐに一塁手、三塁手に転向します。

なんと入学前の練習試合に星稜高校の4番サードで出場しヒットを放つなど1年生から既に実力を発揮していました。

 

高校時代によくつけられる通り名は『北陸の怪童』『星稜恐怖の1年生4番』として少しずつ高校野球界に名を轟かせはじめます。持ち味であるホームランも推定飛距離で140mを超える打球も放つ怪物だったようです。

 

 

高校2年時

 

 

高校2年でも松井の活躍により夏の甲子園切符を獲得。初戦では足で市沼津をかき回し接戦に勝利すると3回戦の竜ヶ崎一高校との1戦では甲子園初ホームランを豪快に右翼席に叩き込んだ。準々決勝も松商学園に勝利する快進撃を見せて2年の夏は終わった。

 

夏休みで体力測定を行った際に背筋力250kgのバーベル上げ150kgを記録し高校野球関係者を驚かせた。理由はあの怪物、清原和博以来の数値を出したからだ。

 

星稜高校野球部は毎年新チームになると投票でキャプテンを選出してきたが松井の年だけは当時キャプテンだった監督の山下が松井秀喜のリーダーシップやチームに良い刺激を与えていた事を特例として無投票でのキャプテン指名となったようです。

 

 

高校3年時

 

 

高校3年時には春の選抜高校野球に出場しまたも度肝を抜く活躍を見せる。当時、阪神甲子園球場にはラッキーゾーンというホームランが出やすくなるゾーンが設置されていたがこれが撤去される。

しかし、「僕には関係ありません」と言い放ち、開幕試合の初戦、宮古高校戦で2打席連続本塁打、1試合7打点、2試合連続本塁打という大会記録をマークし化物振りを発揮した。

2回戦では堀越高校のエース山本幸正からキレのあるカーブをホームランにしたのを長嶋茂雄が見ていた事がきっかけで読売ジャイアンツへ入団したという裏話もある。この後準々決勝の天理高校戦では1発を放つことができず自らエラーしたこともありチームは負け3年春の甲子園は終わった。

 

 

3年夏伝説の5打席連続四球

 

 

夏の甲子園にあの超伝説的エピソードが誕生した。明徳義塾高校戦、この試合での松井対策が世間を騒がせた。

 

明徳義塾監督の馬淵史郎は

 

「(星稜の練習を見て)高校生の中に一人だけプロの選手が混じっていた」

 

 

と語り、松井秀喜の打席は全て敬遠という勝つためには手段を選ばないという姿勢に高野連が記者会見を開くなど社会問題にまで発展。

最後の5打席目も敬遠が完了した瞬間、解説の人が「私は残念ですよ」と話した直後、レフトスタンド側から大量に応援メガホンが投げられるなど高校野球ではなかなか見られない光景に異常さが伝わってきます。明徳勝利後の校歌演奏の際には大ブーイングが起こるなど球史に残る騒動となった。

 

 

この試合が終わり高校通算打率は.450、本塁打60本という成績を残した。ちなみにこの本塁打60はランニングホームランの数は含まれていないのでもう少し多い。含まれていない理由は柵越えしたものがホームランという松井のこだわりから。

 

 

4球団抽選の末に巨人入団

 

 

ドラフト前に憧れの球団を聞かれた松井は阪神、巨人、中日、ダイエーを挙げていました。希望球団からの指名を駒澤大学へ進学することを口にした松井に上記以外の他球団は指名せず4球団に1位指名された。

そして1992年11月21日ドラフト会議で抽選の末に交渉権を獲得した巨人に入団する事になる。契約金1億2000万円、年俸720万円で契約し背番号は後にゴジラ松井の代名詞の55番に決まる。

 

当時阪神に行きたいという強い希望があった松井は記者会見で複雑そうな表情を見せたが、交渉権を引き当てた長嶋茂雄からの電話で巨人に対する情熱も湧きすぐに気持ちは切り替わったようです。

 

 

21年越しの第6打席

 

 

伝説の甲子園5打席連続四球から21年。5打席連続敬遠の当事者である元明徳義塾エース河野和洋と松井秀喜の因縁対決なる真剣勝負がテレビの番組で行われた。

 

 

勝負したかったけどさせてもらえなかった松井。

勝負したかったけどできなかった河野。

 

二人の真剣勝負の結果はフォアボール。21年越しの真剣勝負もフォアボールに終わったこの対決に河野は、

 

「唯一松井秀喜の怖さを知らないピッチャーです」

 

 

と語り、松井秀喜も「結果は21年前と同じでしたけど2球のストライクを僕は見たんで」と笑顔で答え、もう二人にわだかまりはなさそうでした。

時間が解決するとは言いますが、二人が笑顔で話しているのを見て安心しました^^

 

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