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ドラフト5位で中日ドラゴンズへ入団

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生きる化石じゃないですけどプロ野球選手の山本昌投手は今年で50歳になりますが、まだまだ現役でプレーを続けられます。プロ生活は実に32年目に突入しますが入団まで時を遡ってみると1983年になります。

山本昌さんは小学3年の時に少年野球に入り中学では神奈川県大会で活躍しスポーツ推薦で日大藤沢高に入学。高校生活では最高で神奈川大会準々決勝止まりでしたが中日ドラゴンズに5位指名され入団となったようです。

当時は8キロのロードワークが日課となっていたようで練習を休まない山本昌の原型はその頃からあったようですね!

 

入団当時は同じチームの先輩小松辰雄の球を見て「とんでもない所に来てしまった」とテレビでも語っており31年も現役を続けている自分が一番ビックリしていると語っていました。

当時の監督の星野仙一も背番号が34で左投げなので『金田2世』と期待したそうですがコントロールもないし130キロ程度しか出ない山本昌にガッカリしたと言っていたそうです。

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ベロビーチ・ドジャース

 

山本昌が海外派遣されていた時期

1986年に開幕1軍入りしたものの肘を疲労骨折した事もあり成績が伸び悩み、球団はロサンゼルス・ドジャースのベロビーチでのキャンプへ参加させ、野球交換留学としてそのままアメリカに残ることになります。基本的には現時点で戦力にならない選手が留学となっていた為入団5年目に山本昌は構想外扱いだったようです。

 

プレーする事になったのは1Aのベロビーチ・ドジャース。実はプロ野球人生の転機となるほど重要な人物と出会います。その人物は世話役のアイク生原という方。低めへのコントロールやスローカーブのコーチングも大事だったけど一番は野球への情熱や楽しさを思い出させてくれたと語っています。

 

ベロビーチでの評価も厳しかったものの、フェルナンド・バレンズエラというピッチャーのピッチング練習で衝撃のスクリューボールを目の当たりにしたことが決め球スクリューとの出会いだったようです!2か月ほどたちチームメイトが試合前キャッチボールをしている時スクリューボールを投げていたのを見て投げ方を教えてもらい後日遊びで投げてみたら驚くほど球が曲がって、試合でも通用するので使っていると1Aのオールスターに選出されるまで成長。

 

あの野茂英雄がメジャーデビューをする7年ほど前のこととなりますがメジャーのロースター枠入りを正式に打診されたようです。情報を聞いた星野監督は山本昌を日本へ戻すと1軍戦力に即加入させ5連勝を達成するなどリーグ優勝に貢献。大復活となりました!

もしかしたら日本人メジャーデビュー第1弾は山本昌さんだったかもしれなかった秘話ですね。ちなみにベロビーチ・ドジャースでの成績は13勝7敗で防御率2.00。

 

 

プロ31年間の成績・年俸

 

山本昌のプロ入り31年間の成績や年俸は以下のとおりとなってます。

 

※1軍登板は通算28年間

579試合・・・先発512 完投79 完封30 219勝 165敗 5S 防御率3.45

 

主なタイトルや表彰

 

最多勝・・・3回(1993年17勝、1994年19勝、1997年18勝)

最優秀防御率・・・1回(1993年2.05)

最多奪三振・・・1回(1997年159個)

沢村賞・・・1回(1994年29試合19勝8敗防御率3.49)

最優秀投手2回、ベストナイン2回、月間MVP8回

26年連続勝利(歴代1位)

開幕投手・・4回、オールスター出場・・6回

 

記録

 

初登板・・1986年10月16日 初勝利・・1988年8月30日

初セーブ・・1989年4月16日 200勝・・2008年8月4日

 

最年長記録

登板、奪三振、打席・・49歳43日(対阪神戦2014年9月23日)

勝利・・49歳25日(対阪神戦2014年9月5日5回無失点)

完投・完封・・45歳24日(2010年9月4日)

ホールドポイント・・47歳1ヶ月(2012年10月3日)

ノーヒットノーラン・・41歳1ヶ月5日(2006年9月16日)

 

セ・リーグ最年長記録

 

セーブ・・41歳2ヶ月(2006年10月15日)

安打、打点・・48歳0ヶ月(2013年8月28日)

 

背番号は入団から34番のままです。

 

 

年俸推移

 

18歳・・・1983年ドラフト5位入団(契約金2500万)

19歳・・・360万 20歳・・・360万 21歳・・・380万

22歳・・・400万 23歳・・・400万 24歳・・・1100万

25歳・・・2100万 26歳・・・2800万 27歳・・・2700万

28歳・・・5200万 29歳・・・1億 30歳・・・1億7500万

31歳・・・1億3500万 32歳・・・1億2500万 33歳・・・1億8340万

34歳・・・1億8340万 35歳・・・1億8000万 36歳・・・1億8000万

37歳・・・1億8000万 38歳・・・1億7000万 39歳・・・1億9000万

40歳・・・2億3000万 41歳・・・2億3000万 42歳・・・2億4000万

43歳・・・1億5000万 44歳・・・1億5000万 45歳・・・1億2000万

46歳・・・1億 47歳・・・4000万 48歳・・・6000万

49歳・・・4000万(2014年)

 

 

球速や球種、体型や投げ方の変化

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入団当初は130キロ前後の球速しか出ず結果が出ませんでしたがベロビーチ・ドジャースでスクリューボールの習得とスローカーブの精錬に成功し、スライダーも習得すると30歳手前まで130キロちょっとという球速で活躍した球速の遅い一流ピッチャーへと成長しました。

 

球速は40歳を超えてからの方が速くなっていき43歳の時に143キロという球速が自己最高球速となっています。現在は今年50歳という年齢もあり130キロほどの球速になっています。

昔のフォームは踏み出す足を高く上げ軸足のタメも長かったのですが現在はタメが短くなっているのが分かります。それから左肘が曲がらなくなっていき、昔は腰のあたりまで伸ばしていた腕も現在は腰までいかずに投球しているのが分かります。

 

 

 

の動画を見てもらえればわかりますがガタイも大きくなっており守備時にかがみにくいのかガニ股でゴロの処理をしています。かなり体も固くなってきているのではないでしょうか。

 

山本昌の生まれなど

 

生年月日・・・1965年8月11日

身長/体重・・・186センチ/87キロ

出身・・・神奈川、日大藤沢高

血液型・・・AB型

投/打・・・左投げ左打ち

趣味・・・車、ラジコン

 

 

なぜ舌を出して投げるのか

山本昌

 

山本昌はボールを投げる際に舌を出して投げます。これは何故なのか?

恐らく力を入れて投げないようにしているのだと思います。野球選手は打ったり投げたりする時力が入り歯がボロボロになります。マウスピースを嵌めて試合に出る選手も珍しくないです。

しかし山本昌はあえて舌を出す事で絶対に歯を食いしばれないようにしています。実際に舌を出して身体を動かしてみれば分かりますが力を入らないスムーズな動きができます。これが山本昌が長くプロ野球を続けられた真骨頂なのかなとも思います。

ビジュアル的に舌を出して投げるというのはアレなのでできない選手がほとんどだと思いますが、舌を出す事により結果が出せるようになる可能性もアリかもしれません。

 

 

現在の嫁さんと子供

 

山本昌は20年以上も前に有美子さんと結婚し2人のお子さんが授かります

 

上の子は1991年生まれの女性。同チームの伊藤準規投手と同い年らしいです。

下の子は1993年生まれで男性。西川健太郎と同い年。ということはお二人は既に成人していて現在23歳と21歳ということになり孫もできそうらしいです!

有美子さん

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有美子さんとは2011年に離婚されたようです。

 

 

2013年に再婚

 

山本昌は2013年に愛人と噂された美智子さん(当時32歳)と再婚されたようで豪華にハワイで挙式をされたようです!

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愛知県出身の美智子さんは家事手伝いだそうで、出会いは共通の知人を通じて知り合ったそうです。家庭的な人柄らしくすでに名古屋市内のマンションで一緒に生活を共にしているらしいです。

新しい家庭も持ち50歳最年長記録更新へ最高のパートナーとなりましたね^^

 

 

車やラジコンなど多趣味!

 

山本昌と言えば大のスポーツカー好き! 1億円以上するといわれるランボルギーニミウラ400SVでナゴヤ球場でお披露目するなど車好き&稼いでる感を披露してます。

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晴れたらもっと良く写ったのに。雨は車に良くないんだよと言う名言も残しています。曇った空でしたが表情は晴れていて機嫌よく取材に応じたらしいです。

まだまだ多数の高級車を所有しており、プロ野球選手も山本昌クラスになるとレベルも違いますね。夢を与えてくれます!

 

ラジコンも大好きで登録名を本名の山本昌広でラジコンレースに出場するほど。

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その実力は国内でもトップクラスで才能の片鱗を見せる。オフになるとラジコンの修行をするなど好きなことへの探究心は凄いものがある。

ラジコン好きが高じてラジコンメーカーとシャーシモデルを共同開発するなど意外な場所で活躍もしていました。

 

2010年には『片手間で練習をしていると思われたくない』という理由でラジコンを封印。引退してからいくらでもできると大好きなラジコンは封印したようです。

 

趣味やこれだけに限らず昆虫集め、ゲーム、漫画、競馬など人生を満喫しまっくているようです。

 

引退後は背番号34は永久欠番になるでしょうし、谷繁監督の後を受けて監督候補でもあると思います。また多趣味すぎるのでもう野球は辞めてラジコンや車の仕事にでも就きそうですね(^O^)